ユマニテク医療福祉大学校|三重県四日市市にある専門学校

卒業生の声

社会で活躍している卒業生たちを紹介します。

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学生のことを真剣に考え、
寄り添ってくれる先生ばかり

理学療法学科 2005年3月卒業

伊勢ひかり病院 勤務

稲生高等学校出身

徳田 昇さん

  • 徳田 昇さんの写真
  • 理学療法学科 2005年3月卒業

    伊勢ひかり病院 勤務

    稲生高等学校出身

    徳田 昇さん

以前、私はスポーツインストラクターとして、中高年の健康増進や生活習慣病予防、スポーツ選手のトレーニング、ダイエットなどに従事していたのですが、病気や怪我の予防とリハビリテーションについてもっと学びたいと思い、理学療法士を目指すことにしました。当時、専門学校ユマニテク医療福祉大学校(旧ユマニテク医療専門学校)は、県内唯一の理学療法士資格を取得できる養成校として開校したばかりでしたが、塩浜駅からのアクセスも良く、新設校としてパンフレットでみる学校の設備や雰囲気も良く、迷うことなく決めたのを覚えています。高校時代は、勉強よりもサッカーばかりしている高校生でした。社会人となり、勉強から随分離れていたので、いざ受験すると決めたときには、高校の5教科を1年間勉強し直したのを覚えています。入学後も、生物など基礎的な部分を勉強し直しました。運動学や生理学、神経学など授業では難しい言葉もたくさんでてきて一回の授業の中では理解が追いつかないことがいっぱいありましたね。でも、各科目の繋がりがわかってくると、面白さが出て来て楽しかったです。当時の勉強スタイルとしては、電車の行き帰りに習ったことを見直し、自宅に帰ってから深夜まで復習していました。授業でわからなかったところは、直後の休憩時間に同級生と確認しあったり、先生に聞いたり、誰かにアウトプットして自分の理解度をよく確認していましたね。同級生は高校卒業したばかりの現役生ばかりでなく、私のように社会人経験を経て入学した学生も沢山いて、同じ目標を持つ良い仲間に恵まれ、お互い助け合って勉強していました。作業療法学科の学生とも合同授業などがあり、交流がありました。座学・実技ともに何回も繰り返すのが一番ですね。先生方の存在も身近で、時間を見つけてはとても親身になって指導してくれました。

私が勤めている病院でも、理学療法士を目指す学生を多く受け入れ、ユマニテクの卒業生も沢山入職しています。ユマニテクの先生方とお話する度に、いつも学生のことを真剣に考え、寄り添ってくれる先生ばかりだと感じています。確かに専門科目には難しい授業もありますが、コツコツと覚えれば必ず勉強にはついて行けると思います。勉強は1人でするよりも、みんなで覚える方が絶対お薦めです。でも、最後は自分次第です。自分が将来「理学療法士」として働く姿を想像して、3年間頑張ってください。

徳田 昇さんの写真
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探求心を忘れずに
日々学び続ける理学療法士でありたい

理学療法学科 2020年3月卒業

市立伊勢総合病院 勤務

宇治山田高等学校出身

下村 友香さん

  • 下村 友香さんの写真
  • 理学療法学科 2020年3月卒業

    市立伊勢総合病院 勤務

    宇治山田高等学校出身

    下村 友香さん

私が理学療法士を目指したきっかけは、スポーツが生きがいだった祖父が、膝を痛めてスポーツをすることが出来ず落ち込んでいる姿を見たときに、自分も何か役に立ちたいと思ったことでした。そこから理学療法士という職種について調べるうちに、理学療法士の資格取得を目指したいと強く思うようになりました。私がユマニテクに入学を決めたのは、理学療法士の養成校として三重県内で一番歴史があるので、県内の臨床実習施設で実習に取り組むことができ、理学療法士に関わる知識も数多く学べると考えたからです。高校の先生からは大学への進学を薦められましたが、職業教育に特化した環境で学びたいという思いが強かったので迷いはなかったです。学校生活の中で一番思い出に残っていることは、セミナー活動です。一番大変だった思い出でもありますが、同じグループのみんなと検討を重ね、データをまとめる作業を繰り返した日々が、現在の仕事の糧になっていると実感することが多いです。そして何よりも悩み考えた分、セミナー発表後の達成感が忘れがたい思い出となりました。また、入学後に感じたことは、授業などで分からないことがあったときに、質問しやすい環境だったことを覚えています。先生方はいつでも質問に対して丁寧に分かりやすく説明してくれました。

現在は市立伊勢総合病院で勤務しています。急性期から回復期まで多岐にわたる幅広い患者層を見る機会がある職場です。現在担当している回復期では、在宅復帰に向けて、急性期のリハビリスタッフや他の医療専門職の方々と連携を取りながら、ADL(日常生活動作)の向上、患者様の要望や希望の獲得を目指しています。車椅子生活になるだろうと思われていた患者様が歩けるようになったり、リハビリへの意欲が低かった患者様がポジティブな思考に変化して積極的にリハビリに取り組んでくれるように変化していく様子に立ち会えた時は、患者様のADLやQOL(生活の質)の向上が何よりもやりがいだなと深く実感しました。今後も「患者様にとって最善の治療法は何か」を常に考えていきたいと思っています。同じ疾患でも症状は様々で、機能低下の要因や原因は異なります。疾患や病態のことを理解したと思っていても難渋することも多々あります。そういった時に、調べて考えることで少しでも最善の治療法へ近づくのではないかと思っています。現在はリハビリと栄養の関連性について興味があり、食生活アドバイザーの資格を取得するための勉強をしています。これからも探求心を忘れずに日々学び続ける理学療法士でありたいです。

下村 友香さんの写真
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患者さんのお役に立てている
そう実感できる仕事です

作業療法学科 2010年度卒業

鈴鹿厚生病院 勤務

相可高校出身

中原 由香(旧姓:初岡)さん

  • 中原 由香さんの写真
  • 作業療法学科 2010年度卒業

    鈴鹿厚生病院 勤務

    相可高校出身

    中原 由香(旧姓:初岡)さん

作業療法士として勤めて9年。現在は、当病院の臨床実習生を担当させてもらう立場となりました。実習期間が訪れるたび、ユマニテクで過ごした学生時代のドキドキした気持ちを思い出します。学生に教える立場でありながら、こちらが勉強させてもらうことも多く、「医療人は生涯、学びである」と実感しています。作業療法の勉強には、患者さんの手の機能を獲得するために、革細工や陶芸といったことも学びます。作業を用いることで、訓練の中に楽しみの要素を取り入れることができるのは、作業療法ならでは。私たちの援助を通して、患者さんが革細工などを楽しみながら訓練に参加されている姿を見るたび、「誰かのお役に立てているのだ」と、やりがいを実感しています。患者さん自身が頑張りたいと思うリハビリを提供できることが、この仕事の喜びです。

中原 由香さんの写真
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赤ちゃんからお年寄りまで
生涯にわたって携わっていくことができる

歯科衛生学科 2021年度卒業

鈴鹿高等学校出身

萱苗 侑愛さん

  • 萱苗 侑愛さんの写真
  • 歯科衛生学科 2021年度卒業

    鈴鹿高等学校出身

    萱苗 侑愛さん

私は小学生の頃に行った歯医者さんで優しくしていただいた歯科衛生士さんに憧れ、自分もそうなりたいと思うようになりました。その後、歯科衛生士の仕事について調べたり、インターンシップに参加したりする中で、歯科衛生士は医療の中でも予防をメインとしていることに魅力を感じました。また、口と全身の健康つながっていることを知り、健康を守るために元気な時から人に携われる素敵でかっこいい仕事だと思い、目指すようになりました。三重県で進学を考えていた時に、ユマ医療のオープンキャンパスに参加し、一人一台の実習模型が設置されており実習環境が充実していると感じたことと、他学科との合同授業(ケースカンファレンス)があり、チーム医療を学べるということに魅力を感じ、ユマニテク医療福祉大学校に進学を決めました。

入学後は先生がとても親身になって指導してくださり、国家試験合格まで導いてくださいました。専門学生時代に学んだ知識や技術、マナーなどは就職後も役立っているのでやっぱりユマ医療を選んでよかったと思っています。現在は歯科衛生士を目指すきっかけとなった歯科医院に就職し、主に定期検診やドクターの補助をしています。幼いころに自分が感じたように、私も患者様を優しく笑顔で迎え、喜んで帰っていただけるよう心がけています。歯科衛生士は直接「ありがとう」と感謝の言葉をいただけ、赤ちゃんからお年寄りまで生涯にわたって携わっていくことができる、とてもやりがいのある仕事です。超高齢化社会となる中、日本の健康寿命を伸ばすためにも歯科衛生士は重要な仕事だと実感しています。学生時代に学んだことを基に、これからも患者様の健康を守り、何歳になっても自分の歯で美味しく食事をし、笑顔で楽しく会話をすることができるようサポートする衛生士を目指して日々成長していきたいと思います。

萱苗 侑愛さんの写真
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介護福祉士としても1人の人間としても、
ユマニテクでの学校生活は大切な2年間

介護福祉学科 2022年度卒業

飯南高等学校出身

中村 萌々花さん

  • 中村 萌々花さんの写真
  • 介護福祉学科 2022年度卒業

    飯南高等学校出身

    中村 萌々花さん

入所施設で利用者さんの食事、入浴、排泄の介助等の身体的な介護を行っています。利用者さんに安心して生活してもらえるように、信頼関係を大切にしています。信頼していただくには知識や技術だけでなく、コミュニケーション技術が必要だと学ぶことが出来ました。コミュニケーションは自分が思っているよりも必要で、利用者さんの立場に立って考え、声掛けをするだけではなく、会話ではないコミュニケーションも大切ということを知りました。そして、時には沈黙を共用することも利用者さんに安心していただけるということなど、自分では考えない視点も学ぶことが出来ました。実習は数回に分けて行うため、学校で学んだことを実習で実践できるので実践と反省を繰り返すことで身につきました。この経験が今の仕事に活きており、介護福祉士としても1人の人間としてもユマニテクでの学校生活は大切な2年間となりました。

中村 萌々花さんの写真
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手に職を付けるという
大事さを改めて実感しています

歯科衛生学科 卒業生

平成11年4月~はね歯科医院にて3年間勤務

平成16年7月~はね歯科パート勤務として復帰し現在も在職中

松田 莉呼さんお母様

  • 松田 莉呼さんお母様の写真
  • 歯科衛生学科 卒業生

    平成11年4月~はね歯科医院にて3年間勤務

    平成16年7月~はね歯科パート勤務として復帰し現在も在職中

    松田 莉呼さんお母様

母親や周りの大人の方から不景気だから手に職をつけた方がいいと言われ、働くなら医療系の仕事がいいなと何となく思っていた高3の春に、歯科衛生士になりたてのいとこの「歯科衛生士ってすごく良い職種よ。夜勤は無いし休みも週休2日きちんとある。しかも求人募集がたくさんくるから自分が行きたい歯医者を選べて就職に困らないよ」という言葉に流されてまずは歯科衛生士を知ろうと進路室に向かったことを覚えています。そんないとこの言葉から、なんとなく選択した歯科衛生士という職業ですが、専門学校を卒業して25年目を迎えました。この歳になるまで歯科衛生士として働いているなんて、学生時代には想像もしていませんでした。スケーリングをした後「ありがとう!サッパリしました。」という患者様からの感謝のお言葉、TBI(歯磨き指導)した後、メンテナンスに来院された患者様の口腔内がドンドン綺麗になっていくのを見た時は、本当に嬉しくてやりがいを感じます。今でもまだ毎日が新鮮で楽しく働いています。手に職を付けるという大事さを改めて実感しています。これから先も出来る限り歯科衛生士として働いていきたいと思っています。

娘が高2の時に「歯科衛生士の学校に進学しようと思っている。」と聞いた時には、ビックリしました。自分の進みたい道に進めば良いと思っていたので、特に勧めたことはなかったからです。ただ、小さい頃からお母さんは歯医者で働いていて、楽しそうに仕事をしているということを感じていたようです。家庭と仕事の両立ができる。手に職を付けることができる。1番近くで見ていたから私が何も話さなくてもこの職を理解し魅力を感じ、目指してくれたんだなと思うと本当に嬉しかったです。現場は、マニュアル通りばかりではない。色々なことを経験して臨機応変な対応ができるようになることが大事です。何より大切なことは、挨拶!笑顔!コミュニケーション!専門的な知識はしっかりと身に付けて患者様に不安感を与えない、信頼される歯科衛生士になってもらいたいです。

松田 莉呼さんお母様の写真
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家庭を持った時は母のように
母親と歯科衛生士の二刀流で頑張りたい

皇學館高等学校出身

松田 莉呼さん

  • 松田 莉呼さん親子の写真
  • 皇學館高等学校出身

    松田 莉呼さん

私が歯科衛生士を目指したきっかけは、母が歯科衛生士として働いている姿を目にして、私も母のようになりたいと思ったからです。私が幼いころから歯科医院へ行くと、母は患者さんに優しく笑顔で接していました。また、6歳だった私と同い年くらいの子が怖くて泣きだした時、すぐに母が駆け寄り優しい言葉をかけていました。その子はすぐに泣き止み、不安な表情が一瞬にして笑顔に変わりました。家での母の姿しか知らなかったので、とても印象に残っています。また、母に歯科衛生士のやりがいや魅力について聞いたところ、「患者さんにありがとう。おかげで歯がきれいになったよ。」などの嬉しい言葉を言ってもらえる時と言っていました。私自身も歯科衛生士のやりがいや魅力を感じ、オープンキャンパスなどに参加していく中で、より一層目指す思いが強くなりました。歯科衛生士になることは決して簡単ではないし、学生生活の中で一番と言っていいほど字を書いたと母は言っていました。(笑)ただ、3年間学んで努力したことは国家試験の時や社会人になった時に必ず大きな力として発揮できると教えてくれました。学校選びの際も母から「ユマニテクは先生が一人ひとりに目を配ってくれてどんな時も一生懸命になってくれるよ。学校の雰囲気も明るくて勉強や実習で大変な時は、クラスみんなで支え合っていく学校だよ。」と自分の学生時代と重ねて話してくれました。

母には歯科衛生士と私の母という二面があります。仕事と家庭を両立し、一つも欠けることなく強くて優しい母です。勉強や実習で困ったことがあれば、一緒に考えてくれたりアドバイスをくれたりします。国家試験を控える私にとっては心強い味方です。私が「どんな衛生士になりたいか」と聞かれたらこう答えます。「自分軸ではなく、患者さんの立場になって考えることができる優しい衛生士です。」と。それは母の姿を見て感じています。私も母のように、その人の立場になって考えてみたらまた違う目線で物事を勧められるのではないかと思っています。将来、家庭を持った時は母のように母親と歯科衛生士の二刀流で頑張りたいです。残り僅かな学生生活を楽しみ、今しか学べないことを大切にして素敵な歯科衛生士になります。

松田 莉呼さん親子の写真
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雇用が沢山あり、再就職に
有利な職業であることを実感

歯科衛生学科 卒業

平成11年4月~きり矯正歯科にて3年間勤務

平成23年6月~のぞみ歯科にて現在も在職中

津村 涼葉さんお母様

  • 津村 涼葉さんお母様の写真
  • 歯科衛生学科 卒業

    平成11年4月~きり矯正歯科にて3年間勤務

    平成23年6月~のぞみ歯科にて現在も在職中

    津村 涼葉さんお母様

歯科衛生士になったきっかけは、進学に悩んだときに、働くなら国家資格が取りたいと思い、学校の先生に相談をし、歯科衛生士という職業を知ってどんな職業だろうと調べたことでした。現在歯科衛生士として働く中で、最初は治療を嫌がって全く出来なかった小さな子が、だんだん治療を克服していく姿を見ると成長を感じ嬉しく思います。また定期的に顔を合わせる患者さんも多く、関わっていく中で人の温かみを感じ、ありがとうと喜んでもらえると何より嬉しく思います。

娘がたくさんある職業の中から歯科衛生士になりたいと思ってくれたことは、母としても歯科衛生士としてもとても嬉しく思いました。私自身、結婚、出産で一度歯科衛生士を離れたのちに再就職をしているのですが、その際もパートの雇用が沢山あり再就職に有利な職業であることを実感しました。現在の職場でも産休と育休で3年程離れていた後輩が復帰して戻ってきている様子を見て、すごくいい環境で働かせてもらっているなと感じています。娘の将来においてもメリットがたくさんある良い選択をしたなと思っています。将来は様々な症状を訴えて来院される患者様に対して、寄り添い、その方々が少しでも良くなるよう一生懸命努めることができる歯科衛生士になって欲しいです。

津村 涼葉さんお母様の写真
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結婚や出産での復職もしやすく、
女性がいつまでも輝いて働ける仕事

津商業高等学校出身

津村 涼葉さん

  • 津村 涼葉さん親子の写真
  • 津商業高等学校出身

    津村 涼葉さん

私が歯科衛生士を目指したきっかけは、幼いころから定期検診や矯正治療で歯科医院に通っていたこと、そして私の母が歯科衛生士として働いていたことから歯科衛生士という職業を身近に感じていたからです。高校で進路を決める時期に、母から歯科衛生士は国家資格であり結婚や出産での復職もしやすく、女性がいつまでも輝いて働ける仕事であるということを聞き、とても魅力に感じました。そこから歯科衛生士という職業にさらに興味を持ち、目指そうと決心しました。母からは最初にユマニテクを勧めてもらいました。在学中の学校生活の様子や仲間と切磋琢磨し合って学べる環境だと聞き、私も3年間同じ夢に向かって努力する仲間と共に過ごしたいと思いました。そして母が在学中にお世話になった先生が今も勤めておられ、実習環境も整っているなか、国家資格のために手厚いご指導をくださると感じ、ユマニテクに行きたいと思いました。

高校3年生の夏、母が実際に働いている歯科医院でアルバイトをさせていただく機会がありました。母は患者さんの目を見て話し、コミュニケーションを取って患者さんの悩みに真摯に向き合っていました。患者さんの立場になって生き生きと笑顔で仕事に取り組む母の姿は、とても輝いていて改めてかっこいいなと思い、母のような衛生士になりたいと感じました。 私は将来、患者さんや職場の方々から信頼されて不安を安心に変えられるような即戦力となる人になりたいです。そのため、ユマニテクで社会人としての礼儀やマナーを学び、高度な知識と技術を習得していきたいです。

津村 涼葉さん親子の写真

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